現在は変動相場制が採用されているので、
主要国の為替相場は
毎日変動し、1年間の変動率は数十%に達しますが
以前は固定相場制だったんですね!
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◆通貨相場制の変遷
:
1973年以降 変動相場制
この間 1年強 スミソニアン体制(固定相場制)
1971年まで 固定相場制を基本とする
IMF体制(ブレトン・ウッズ体制)
:
1945年より
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●ブレトン・ウッズ体制の最大の目的
1930年代にみられたような為替相場の切り下げ競争による
国際通貨体制の混乱を避けるため。
第二次大戦直後の1945年12月にIMF協定を発行。
IMF協定第4条第1項
「各加盟国の通貨の平価(Par Value)は共通尺度たる金または
1944年7月1日の量目及び純分を有する米ドルにより表示する」こと。
第3項で加盟国は自国通貨の直物相場を平価の上下各1%の範囲内に
維持することが義務付けられました。
各国の通貨当局は、自国通貨の為替相場が平価より上昇し1%の枠を超えそうになると
市場で自国通貨を売りドルを買い(買い介入)、
相場が下落して1%の枠を下回りそうになると、
自国通貨を買ってドルを売る(売り介入)
ことを義務付けられていました。
いったんきめられた平価は、当該国の国際競争力の相対的地位の変化に応じて
変更することが認められていました。(調整可能な固定相場制度)
*「ルール」を弾力化して制度を維持するため。
●ブレトン・ウッズはどんなところ?
ブレトン・ウッズはアメリカ・ニュー・ハンプシャー州の
小さな保養地。スキーの名所で、マウント・ワシントンという1902年創業のホテルがあり
ここで第二次世界大戦真最中に戦後の通貨体制が連合国側により協議されました。
英、ケインズや米、ホワイトなどが激しい口論をしたとか・・・
●ブレトン・ウッズ体制の崩壊
69年にニクソン大統領が就任しましたが、70年以降アメリカの国際収支の大幅な悪化を背景にドル売り欧州通貨買いの投機が生じ、
71年5月にはスイスとオーストリアが平価を切り上げ、西ドイツとオランダは変動相場制へ移行しました。
◆短命だったスミソニアン体制
流動性ジレンマとドル危機、金準備カバー率の落ち込みなどにより、
「ニクソン声明」によってドルの交換性が停止された後
71年12月、ワシントンのスミソニアン博物館において
1.ドル切り下げて金1オンス=38ドル
2.各国通貨間の新為替相場はセントラルレートの形で発表すること
3.為替相場の変動幅を上下各2.5%とすること
を取り決めました。
このとき円のセントラル・レートは1ドル=308円。
スミソニアン体制は交換性のないドルに対し各国が自国通貨の
相場を固定した制度でしたが
(変動幅がブレトン・ウッズ体制より拡大した固定相場制)
半年後の72年6月にイギリスが変動相場制に移行。
73年1月にスイス、2月に日本とイタリアが変動相場制に移行。
スミソニアン体制の崩壊によりIMF協定は改定され
1.各国がどのような為替相場制を採用するかは自由とする
2.各国の為替相場政策はIMFの監視に従う
3.将来、世界経済が安定した後、IMFは85%の多数により
平価制度への移行を決定することが出来る
将来における平価制度への復帰の可能性を残しながら
変動相場制を公式に承認することとなりました。
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オチ:
これで雪音姉(ゆきねえ)の心臓がバクバクしてしまうわけです。
オチ2:
これでヘッジファンドが生まれたのね。。。。
12月27日木曜日にGETした莫大な利益を28日金曜日
あっさり全て持っていかれたり・・・
つまり年末は
ドル円などで米系ヘッジファンドが手仕舞いの売りを入れてくる
ってことを2008年の最終日には肝に銘じておきますわ。
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尚ブレトン・ウッズ体制についてはメルマガに書く予定でしたが
オンラインで調べようとしたらドル基軸通貨体制の記事が
TOPに出てきて
書かれたサイトがないようなのでブログ記事にUPしたものです。
ドル基軸通貨体制
http://fx-de100man.seesaa.net/article/73556006.html
ドル円は112円まで覚悟!